“樹木葬の風景” への9件の返信

  1. 上田先生

    ご無沙汰しております。大阪府大の武田です。

    近年の暮らしやお墓に対する考え方の変化から考えれば、樹木葬は風景的価値も含めた展開の可能性が非常に高まっているように思います。
    風景計画の視点からの樹木葬を考える場合に、「地域計画としての樹木葬の位置づけ」や「グリーンインフラとしての樹木葬」は、興味深い提起だと思いますが、「都市計画」という枠組みではなかなか難しいのではないかという気もいたします。
    一方で森林計画では、やはり施業が中心となり、こちらもなかなか計画的に位置づけるまでのは道のりが長そうです。

    立地や土地利用との関係が大きいと思いますが、どのような「地域計画」のなかでの位置づけが可能性がありそうか、またどのように計画的に配置することができるのか、お考えがあればお聞かせいただければ幸いです。

    1. 武田先生、コメントありがとうございます。
      井下清が日本に公園墓地を導入し、多磨墓地を計画した時から、都市施設としての「墓苑」が緑のオープンスペースとして都市空間の中に計画的に配置されることが目指されていたと思います。東京都のように、公園も墓苑も同じ担当課が担うことで、グリーンインフラ としての樹木葬墓地は今後実現可能ではないかと思っています。
      立地や土地利用との関係という点についても、将来的には、公園計画と完全に重なるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。経営的な視点からも都市では特に。

      また、森林計画についてですが、ドイツでは州有林が最初に樹木葬墓地に取り組みはじめました。不成績地を活用した林業赤字の補填のためです。こうした森林の多面的機能を森林経営の多角化につなげていく姿勢が、日本にも求められると思います。(日本の国有林は特別会計ではないので、林業赤字の補填のために樹木葬墓地が導入される可能性は低いです。)

  2. 上田先生

    東京農業大学の町田です。

    興味深いご発表をありがとうございました。

    私はCOVID19によるステイホームの生活の中で、近所里山とつながる都市計画墓園が散歩コースでした。

    COVID19で死に関する情報が錯そうする中、
    緑を求めて自然の息吹を感じながら散策する私たち家族と、
    遠くで緑に囲まれ誰かの死を偲び人が祈る風景、
    そして、言葉を交わさずとも相手を思いやる気持ちで会釈を交わされるコミュニケーションに、これまでにない「場所」を共有する感覚となりました(曖昧な表現でごめんなさい)

    そのため、上田先生がご紹介されているドイツの死と場所の概念、
    死者と社会が「場所」を共有する空間のご指摘に大変興味を持ちました。

    人の生と死をみつめるお墓が緑のネットワークで
    私たちの暮らしにつながる風景を実感を伴い、拝読いたしました。

    1. 町田先生、コメントありがとうございます。
      民主主義の「都市計画」では生きている人のみが対象になりがちですが、死者の尊厳も含め、世代を超えた社会と空間の考え方の必要性もあるかと思います。それが「歴史」ってことなんですが。

      おっしゃる通り、人と歴史、人と人、人と自然のつながりが意識できる場所が身近な存在になればと思います。

  3. 今の墓地の在り方が近年のものであり、今後どうするかは改めて考えるべき重要な問題と私も思っております。非常に興味深く読ませていただきました。江戸時代だと村の墓はこちらの山だったとか、小石を置いたくらいが墓標だったとか、明治〇年の法律(この辺をしっかり追いかけていないのですが)で、寺の墓地に集められたとか・・・
    樹木葬もそろそろこれまでの経験を本研究のように総括し研究して今後を考える時期なのだとか感じました。私個人で言えば、近年両親が亡くなり、両親は自分たちで用意していた富士霊園に眠っております。それは親の世代の考え方としては1つの良い解とは思いますが、自分はどうしたら良いか、親の墓をどう継承するか・・・
    個人的に好きな、感心する墓は、独歩の武蔵野に出て来る、小さな池のほとりの苔むした墓でオミナエシでも咲いているというような墓(これも農家の敷地内なのでしょうね。こういう視点でこれがどういう所を指している、書いているのか研究すると面白いかも)、あるいはベアトリクス・ポターが眠っている集落の裏山の中の樹木葬の墓。これはナショナル・トラストに遺贈されているので、集落、森とともに永遠に変わらないというものです。

    1. 温井先生、コメントありがとうございます。

      おっしゃる通り、墓地というのが、後の世代のために残す空間であるという考え方が大切なのだと思います。
      きっと、そういう考え方でお墓を作ってきた文化では、世代を超えて場所や景観を公共財として共有するために保護・保全する仕組みが整ってきたのだと思います。
      日本では順番は逆ですが、お墓の考え方が次第に変わってくるのではないかと思います。

  4. 初めてコメントを記させていただきますことをどうぞお許しください。小林昭裕先生にご紹介いただき、本ミニフォーラムに参加させていただきました阿部美香(京都大学・研究員)と申します。

    樹木葬に関するご発表、大変興味深く拝読いたしました。

    勝手な見方・イメージで恐縮ですが、樹木葬であることにより、
    死者がある意味で樹木に仮託されるといいますか、故人の命が樹木に宿っているような、そんな感覚になることもあるのかなあ、と思いました。
    命があり、変化・成長するもの(樹木)を故人に見立てることもでき、
    その場所を訪れる人々は、亡くなった人を思うのだけれど、接する対象は今その瞬間も生きているもの、ということで、
    樹木葬は、人に温かで前向きな気持ちを与えてくれそうだ、と感じました。
    (樹木という)命に向かって「お墓お参り」をすることで得られるものは、故人を偲ぶ(故人のため)以上に、「お参り」をする主体側にも多くありそうだと思いました。

    また、(大変稚拙で個人的な話で恐縮ですが)例えば私は小さい頃から幽霊だとかお化けの話が怖く感じるタイプの人間ですが、樹木葬は、「怖くない」と感じます。
    (私の実家は北海道ですが、曽祖父は茨城出身で、高校生の時に一度だけ曽祖父の山間にある墓地を訪れましたことがあります。樹木葬とは異なりますが、緑に囲まれた中に位置するお墓はとても心地良く、「怖くない!」と感動すら覚えました。緑が多い効果を実感しました)
    石の墓地が沢山ある空間を「怖いところ」とイメージする人も、或いは一定数いるかもしれませんが、樹木葬はそういった観点からも親しみやすさがあり、「グリーンインフラ」としての可能性が多いにあると感じています。

    1. 阿部さん、コメントありがとうございます。

      おっしゃる通り、樹木葬は、大切な人の死を受け入れるためのモラトリアムを提供する側面があると思っています。生と死をバッサリと分けてしまうのではなく、その中間の、故人の存在を感じられる場所を提供しているのだと思います。
      墓とは本来、残された人が「徐々に忘れるための装置」です。死の喪失感を和らげ、死者の存在とともに歩んでいくには、命があり擬人化できる樹木が馴染みやすいのでしょう。

      しかし、そんな対象はやはり個人であり、先祖代々ではないというところが、社会変化を反映しているようにも思います。

  5. 上田先生

    ご多用のところご発表を頂きまして,有り難うございます。長崎大学の渡辺と申します。

    墓をめぐる新たなあり方が示されるとともに,計画への実装を志向されたご発表は,大変興味深く拝見させて頂きました。当方からのコメントは,以下の通りです。

    樹木葬の計画への実装に向けては,まず,どのような地域のどの程度のスケールにおいて成立するかが,気になりました。それに関連して,これまでに導入された事例には,実現に係る共通の特性といったものがあるのでしょうか。

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