投稿日: 2020年5月20日2022年6月27日 投稿者: 風景計画研究推進委員会遠隔自然地を身近にするサイバーフォレストのライブ音・録音とサブスクリプションサービスの考察 梗概ダウンロード斎藤馨(東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻) “遠隔自然地を身近にするサイバーフォレストのライブ音・録音とサブスクリプションサービスの考察” への8件の返信斎藤先生ご無沙汰をしております。大阪府大の武田です。 ミニフォーラムでのご発表ありがとうございます。今大会は期せずしてwebでの開催となりましたが、おかげで先生にご提供いただいたサイバーフォレストの鳥のさえずりや雨の音を聞きながら、研究発表のスライドやポスターを見たりすることができるようになっております。 加えて、このコロナ禍の外出自粛の経験を通じて、このような遠隔自然地を気軽に感じることができる体験の価値はますます高まったのではないかと感じます。 しかも、ライブで聞くことができれば、身体的感覚の拡張として遠隔地の自然を感じることができるのではないかと思います。 一方で、リアルな日常空間に目を向け直せば、いつもにもまして、身近な自然に意識的になることができる感性も養われたのではないかと思います。このような聴覚を通じて思いを馳せる、という行為によって、より鮮明に浮かび上がる風景があるように感じました。 ライブの同時性を、Aどのように拡張するのか・・Bどのように制限するのか・・ ワールドカップなサッカーやオリンピックの競技は、ゲーム全体はBでありながら、ワールドワードな注目を引くような工夫がAを導いていて・・そこにライムゾーンに依存しない・国籍に依存しない同時性に価値がある。 一方で、身の回りの日常と、遠隔の日常の同時性は、おそらく、10年20年の季節の繰り返しの中で、ふと気づく同時性があって、、そこが自然との関わりにおける価値を感じるのかと思ったりします。 そんな実践/実験がサイバーフォレストと位置づけていると未だに考えています 都市の街路樹の中には15~20m程度まで成長しているものもありますが、その梢に鳥が集まりさえずることにより、地上高さ15~20m部分(オフィスビルで言うと4~5階部分)のサウンドスケープが豊かになるといった話を聞いたことがあります。本当かどうか分かりませんが・・。身近なサウンドスケープに癒されると同時に、遠隔地のサウンドスケープに想いをはせる、その両面性が、わたしたちの外側と内側の風景を豊かにする、のかもしれませんね。サーバーフォレストの雨の音を集めたアルバム(Rain Sounds)がお気に入りで、時々、聞いています。 人の目線とはちがうちょっとした高さの違い、それは秩父のブナ林内の23mの鉄塔の上にマイクがあったとき、鳥の研究者は、樹冠部の鳥の鳴き声が聞けて楽しいし、鳥の振る舞いが分かってよいとのコメントがありました。 そういう意味で、オフィスビルの4,5階という、接地から離れた場所の、窓の外(でも空調でなかなか外の音を入れるのが難しかったが、コロナで換気ってなると・・また変わってくるのかもしれませんが・・)が、遠隔絵とつなぐかもしれないことは、良いヒントになります。 雨のサイバーフォレスト、御愛聴感謝です。 実は、この後の3作目のコンセプトに悩み中です。齋藤先生東京農業大の町田です。ご発表をありがとうございました。COVID19の中で自粛生活が続く中、サイバーフォレストから聞こえる鳥のさえずりは、 私が森林の中で体験してきた原体験音、森林の中で過ごした開放感、癒しがよみがえり、家族皆で何度も聞いています。これまで、視覚情報が主な観光行動のプッシュ要因となっていた中、COVID-19を受けて、遠隔の音を扱う「遠隔自然風景」が、現在、困難な局面を迎えている観光の突破口の一つになるのかなと思いました。2回目の本研究会ミニフォーラムの基調講演で、冒頭、景観把握モデルの話をされ、塩田先生、篠原先生、それぞれのモデルが時代の要請に沿ったものだったと聞き、なるほどと思った次第ですが、その塩田先生のモデルでの囲繞景観、そこから出発した研究が本研究だとは誤解でしょうか。そのように勝手に連想を膨らませ、視覚から聴覚へ、2次元としての書割(塩田先生が何と説明されたか今自宅で資料がないので怪しいですが)である眺望景観に対し、五感で感じる囲繞景観、そうした方向に向かった研究と解釈いたしました。五感で感じるものとしての囲繞景観の研究は行われてないのではないでしょうか(勉強不足で良く分からないのですが)。 ただ、私個人としては、遠方の音より、近くの音、今年は新型コロナでオンライン授業となり、ずっと自宅にいると、やたらとカッコウが鳴いて(すぐ前の電柱や電線にいます)、そういう方に関心がいっております。昨秋は玄関前のサクラの木でキジバトが雛を育てまして、キジバトの声をよく聞きました。おそらく、こうして段々鳥の鳴き声を覚えてくると、遠方の場所での鳥の声が気になりだし、そういう耳を持てるようにだんだんなり、それはどういう環境かなとサブスクリプションアルバムを聴くようになるのではと思いながら読みました。千葉大学大学院博士課程の阿部建太と申します。ご発表頂き,ありがとうございました。非常に関心のある内容だったため,質問させて頂きたいです。私は緑の持つ心理的効果に関連したテーマで研究をしており,具体的には雨天時の緑地の活用や効果計測などを博士論文のテーマとしております。晴天の森だけでなく,雨天の森の音も公開されており,改めて雨天も悪い面だけでないことも再認識できたように感じました。アルバムなど成果はすでに出ているかと思いますが,これらの環境音の印象評価や人への効果の計測といった実験,あるいは活用に向けた後続研究など今後の研究の展開につきまして予定やお考えがありましたら,ぜひ詳しく教えて頂けないでしょうか?よろしくお願い致します。斎藤先生ご多用のところご発表を頂きまして,有り難うございます。長崎大学の渡辺と申します。ご提供を頂いたサイバーフォレストの音源,興味深く拝聴させて頂きました。同音源は,快適な執務環境の形成に,大きく役だっております。感謝申し上げます。当方からのコメントは,以下の通りです。・聴覚のみの風景体験は,類似の音を発する過去の視覚による風景体験を強く想起させる,あるいは視覚による風景体験を行いたいとする要求を喚起する点において,とても有用だと思いました。前記のコメントは,武田先生がご指摘された「いつもにもまして、身近な自然に意識的になることができる感性を養う」や「聴覚を通じて思いを馳せるという行為により、より鮮明に浮かび上がる風景がある」と共通しているかもしれません。・聴覚によってhereとthereの風景を同一時点において体験することは,我々の風景体験に対してどのような影響をもたらすのかが気になりました。使い方によっては,様々な目的の実現(例:全球環境の保全や観光)に寄与することが大きいと思いました。コメントは受け付けていません。投稿ナビゲーション過去の投稿前 【風景の変化の兆し 身近な空間とそこへの関わり方の未来】次の投稿次 風景とその認識の枠組み -近代からはずれるということ-
斎藤先生ご無沙汰をしております。大阪府大の武田です。 ミニフォーラムでのご発表ありがとうございます。今大会は期せずしてwebでの開催となりましたが、おかげで先生にご提供いただいたサイバーフォレストの鳥のさえずりや雨の音を聞きながら、研究発表のスライドやポスターを見たりすることができるようになっております。 加えて、このコロナ禍の外出自粛の経験を通じて、このような遠隔自然地を気軽に感じることができる体験の価値はますます高まったのではないかと感じます。 しかも、ライブで聞くことができれば、身体的感覚の拡張として遠隔地の自然を感じることができるのではないかと思います。 一方で、リアルな日常空間に目を向け直せば、いつもにもまして、身近な自然に意識的になることができる感性も養われたのではないかと思います。このような聴覚を通じて思いを馳せる、という行為によって、より鮮明に浮かび上がる風景があるように感じました。
ライブの同時性を、Aどのように拡張するのか・・Bどのように制限するのか・・ ワールドカップなサッカーやオリンピックの競技は、ゲーム全体はBでありながら、ワールドワードな注目を引くような工夫がAを導いていて・・そこにライムゾーンに依存しない・国籍に依存しない同時性に価値がある。 一方で、身の回りの日常と、遠隔の日常の同時性は、おそらく、10年20年の季節の繰り返しの中で、ふと気づく同時性があって、、そこが自然との関わりにおける価値を感じるのかと思ったりします。 そんな実践/実験がサイバーフォレストと位置づけていると未だに考えています
都市の街路樹の中には15~20m程度まで成長しているものもありますが、その梢に鳥が集まりさえずることにより、地上高さ15~20m部分(オフィスビルで言うと4~5階部分)のサウンドスケープが豊かになるといった話を聞いたことがあります。本当かどうか分かりませんが・・。身近なサウンドスケープに癒されると同時に、遠隔地のサウンドスケープに想いをはせる、その両面性が、わたしたちの外側と内側の風景を豊かにする、のかもしれませんね。サーバーフォレストの雨の音を集めたアルバム(Rain Sounds)がお気に入りで、時々、聞いています。
人の目線とはちがうちょっとした高さの違い、それは秩父のブナ林内の23mの鉄塔の上にマイクがあったとき、鳥の研究者は、樹冠部の鳥の鳴き声が聞けて楽しいし、鳥の振る舞いが分かってよいとのコメントがありました。 そういう意味で、オフィスビルの4,5階という、接地から離れた場所の、窓の外(でも空調でなかなか外の音を入れるのが難しかったが、コロナで換気ってなると・・また変わってくるのかもしれませんが・・)が、遠隔絵とつなぐかもしれないことは、良いヒントになります。 雨のサイバーフォレスト、御愛聴感謝です。 実は、この後の3作目のコンセプトに悩み中です。
齋藤先生東京農業大の町田です。ご発表をありがとうございました。COVID19の中で自粛生活が続く中、サイバーフォレストから聞こえる鳥のさえずりは、 私が森林の中で体験してきた原体験音、森林の中で過ごした開放感、癒しがよみがえり、家族皆で何度も聞いています。これまで、視覚情報が主な観光行動のプッシュ要因となっていた中、COVID-19を受けて、遠隔の音を扱う「遠隔自然風景」が、現在、困難な局面を迎えている観光の突破口の一つになるのかなと思いました。
2回目の本研究会ミニフォーラムの基調講演で、冒頭、景観把握モデルの話をされ、塩田先生、篠原先生、それぞれのモデルが時代の要請に沿ったものだったと聞き、なるほどと思った次第ですが、その塩田先生のモデルでの囲繞景観、そこから出発した研究が本研究だとは誤解でしょうか。そのように勝手に連想を膨らませ、視覚から聴覚へ、2次元としての書割(塩田先生が何と説明されたか今自宅で資料がないので怪しいですが)である眺望景観に対し、五感で感じる囲繞景観、そうした方向に向かった研究と解釈いたしました。五感で感じるものとしての囲繞景観の研究は行われてないのではないでしょうか(勉強不足で良く分からないのですが)。 ただ、私個人としては、遠方の音より、近くの音、今年は新型コロナでオンライン授業となり、ずっと自宅にいると、やたらとカッコウが鳴いて(すぐ前の電柱や電線にいます)、そういう方に関心がいっております。昨秋は玄関前のサクラの木でキジバトが雛を育てまして、キジバトの声をよく聞きました。おそらく、こうして段々鳥の鳴き声を覚えてくると、遠方の場所での鳥の声が気になりだし、そういう耳を持てるようにだんだんなり、それはどういう環境かなとサブスクリプションアルバムを聴くようになるのではと思いながら読みました。
千葉大学大学院博士課程の阿部建太と申します。ご発表頂き,ありがとうございました。非常に関心のある内容だったため,質問させて頂きたいです。私は緑の持つ心理的効果に関連したテーマで研究をしており,具体的には雨天時の緑地の活用や効果計測などを博士論文のテーマとしております。晴天の森だけでなく,雨天の森の音も公開されており,改めて雨天も悪い面だけでないことも再認識できたように感じました。アルバムなど成果はすでに出ているかと思いますが,これらの環境音の印象評価や人への効果の計測といった実験,あるいは活用に向けた後続研究など今後の研究の展開につきまして予定やお考えがありましたら,ぜひ詳しく教えて頂けないでしょうか?よろしくお願い致します。
斎藤先生ご多用のところご発表を頂きまして,有り難うございます。長崎大学の渡辺と申します。ご提供を頂いたサイバーフォレストの音源,興味深く拝聴させて頂きました。同音源は,快適な執務環境の形成に,大きく役だっております。感謝申し上げます。当方からのコメントは,以下の通りです。・聴覚のみの風景体験は,類似の音を発する過去の視覚による風景体験を強く想起させる,あるいは視覚による風景体験を行いたいとする要求を喚起する点において,とても有用だと思いました。前記のコメントは,武田先生がご指摘された「いつもにもまして、身近な自然に意識的になることができる感性を養う」や「聴覚を通じて思いを馳せるという行為により、より鮮明に浮かび上がる風景がある」と共通しているかもしれません。・聴覚によってhereとthereの風景を同一時点において体験することは,我々の風景体験に対してどのような影響をもたらすのかが気になりました。使い方によっては,様々な目的の実現(例:全球環境の保全や観光)に寄与することが大きいと思いました。
斎藤先生
ご無沙汰をしております。大阪府大の武田です。
ミニフォーラムでのご発表ありがとうございます。
今大会は期せずしてwebでの開催となりましたが、おかげで先生にご提供いただいたサイバーフォレストの鳥のさえずりや雨の音を聞きながら、研究発表のスライドやポスターを見たりすることができるようになっております。
加えて、このコロナ禍の外出自粛の経験を通じて、このような遠隔自然地を気軽に感じることができる体験の価値はますます高まったのではないかと感じます。
しかも、ライブで聞くことができれば、身体的感覚の拡張として遠隔地の自然を感じることができるのではないかと思います。
一方で、リアルな日常空間に目を向け直せば、いつもにもまして、身近な自然に意識的になることができる感性も養われたのではないかと思います。
このような聴覚を通じて思いを馳せる、という行為によって、より鮮明に浮かび上がる風景があるように感じました。
ライブの同時性を、Aどのように拡張するのか・・Bどのように制限するのか・・
ワールドカップなサッカーやオリンピックの競技は、ゲーム全体はBでありながら、ワールドワードな注目を引くような工夫がAを導いていて・・そこにライムゾーンに依存しない・国籍に依存しない同時性に価値がある。
一方で、身の回りの日常と、遠隔の日常の同時性は、おそらく、10年20年の季節の繰り返しの中で、ふと気づく同時性があって、、そこが自然との関わりにおける価値を感じるのかと思ったりします。
そんな実践/実験がサイバーフォレストと位置づけていると未だに考えています
都市の街路樹の中には15~20m程度まで成長しているものもありますが、その梢に鳥が集まりさえずることにより、地上高さ15~20m部分(オフィスビルで言うと4~5階部分)のサウンドスケープが豊かになるといった話を聞いたことがあります。本当かどうか分かりませんが・・。身近なサウンドスケープに癒されると同時に、遠隔地のサウンドスケープに想いをはせる、その両面性が、わたしたちの外側と内側の風景を豊かにする、のかもしれませんね。サーバーフォレストの雨の音を集めたアルバム(Rain Sounds)がお気に入りで、時々、聞いています。
人の目線とはちがうちょっとした高さの違い、それは秩父のブナ林内の23mの鉄塔の上にマイクがあったとき、鳥の研究者は、樹冠部の鳥の鳴き声が聞けて楽しいし、鳥の振る舞いが分かってよいとのコメントがありました。
そういう意味で、オフィスビルの4,5階という、接地から離れた場所の、窓の外(でも空調でなかなか外の音を入れるのが難しかったが、コロナで換気ってなると・・また変わってくるのかもしれませんが・・)が、遠隔絵とつなぐかもしれないことは、良いヒントになります。
雨のサイバーフォレスト、御愛聴感謝です。
実は、この後の3作目のコンセプトに悩み中です。
齋藤先生
東京農業大の町田です。
ご発表をありがとうございました。
COVID19の中で自粛生活が続く中、サイバーフォレストから聞こえる鳥のさえずりは、
私が森林の中で体験してきた原体験音、森林の中で過ごした開放感、癒しがよみがえり、家族皆で何度も聞いています。
これまで、視覚情報が主な観光行動のプッシュ要因となっていた中、COVID-19を受けて、遠隔の音を扱う「遠隔自然風景」が、現在、困難な局面を迎えている観光の突破口の一つになるのかなと思いました。
2回目の本研究会ミニフォーラムの基調講演で、冒頭、景観把握モデルの話をされ、塩田先生、篠原先生、それぞれのモデルが時代の要請に沿ったものだったと聞き、なるほどと思った次第ですが、その塩田先生のモデルでの囲繞景観、そこから出発した研究が本研究だとは誤解でしょうか。そのように勝手に連想を膨らませ、視覚から聴覚へ、2次元としての書割(塩田先生が何と説明されたか今自宅で資料がないので怪しいですが)である眺望景観に対し、五感で感じる囲繞景観、そうした方向に向かった研究と解釈いたしました。五感で感じるものとしての囲繞景観の研究は行われてないのではないでしょうか(勉強不足で良く分からないのですが)。
ただ、私個人としては、遠方の音より、近くの音、今年は新型コロナでオンライン授業となり、ずっと自宅にいると、やたらとカッコウが鳴いて(すぐ前の電柱や電線にいます)、そういう方に関心がいっております。昨秋は玄関前のサクラの木でキジバトが雛を育てまして、キジバトの声をよく聞きました。おそらく、こうして段々鳥の鳴き声を覚えてくると、遠方の場所での鳥の声が気になりだし、そういう耳を持てるようにだんだんなり、それはどういう環境かなとサブスクリプションアルバムを聴くようになるのではと思いながら読みました。
千葉大学大学院博士課程の阿部建太と申します。ご発表頂き,ありがとうございました。非常に関心のある内容だったため,質問させて頂きたいです。私は緑の持つ心理的効果に関連したテーマで研究をしており,具体的には雨天時の緑地の活用や効果計測などを博士論文のテーマとしております。晴天の森だけでなく,雨天の森の音も公開されており,改めて雨天も悪い面だけでないことも再認識できたように感じました。アルバムなど成果はすでに出ているかと思いますが,これらの環境音の印象評価や人への効果の計測といった実験,あるいは活用に向けた後続研究など今後の研究の展開につきまして予定やお考えがありましたら,ぜひ詳しく教えて頂けないでしょうか?よろしくお願い致します。
斎藤先生
ご多用のところご発表を頂きまして,有り難うございます。長崎大学の渡辺と申します。
ご提供を頂いたサイバーフォレストの音源,興味深く拝聴させて頂きました。同音源は,快適な執務環境の形成に,大きく役だっております。感謝申し上げます。当方からのコメントは,以下の通りです。
・聴覚のみの風景体験は,類似の音を発する過去の視覚による風景体験を強く想起させる,あるいは視覚による風景体験を行いたいとする要求を喚起する点において,とても有用だと思いました。前記のコメントは,武田先生がご指摘された「いつもにもまして、身近な自然に意識的になることができる感性を養う」や「聴覚を通じて思いを馳せるという行為により、より鮮明に浮かび上がる風景がある」と共通しているかもしれません。
・聴覚によってhereとthereの風景を同一時点において体験することは,我々の風景体験に対してどのような影響をもたらすのかが気になりました。使い方によっては,様々な目的の実現(例:全球環境の保全や観光)に寄与することが大きいと思いました。